坂本龍馬 (さかもとりょうま)

坂本龍馬が長州藩との関わりを持っていたのは、わずか5年ぐらいでしたが、 その間、共に戦い、明治維新を実現させました。高杉晋作とも、四境戦争にて幕府と戦い、 お互いを尊敬しあっていました。坂本龍馬が、高杉晋作から贈られたピストルを 愛用していたという話も有名です。

1835年(天保6年)、高知城下本丁筋(高知県上町)に、父、八平直足(はちへいなおたり)、 母、幸(さち)の次男として生まれました。

1853年(嘉永6年)、江戸に行き、京橋桶町の北辰一刀流剣術開祖・千葉周作の弟の千葉定吉道場に入門しました。 江戸では、佐久間象山の私塾にも通っています。

1854年(安政元年)、土佐に帰郷し、画家の川田小龍から西洋事情について学びました。

1856年(安政3年)、再び江戸へ行き、千葉定吉道場に再入門しました。

1858年(安政5年)、剣術修行を終えて帰国しました。

1861年(文久元年)、武市瑞山を中心に結成された土佐勤王党に加わりました。 10月、武市の密使として長州へ向かいました。

1862年(文久2年)、長州にて、久坂玄瑞を訪ね、松下村塾の塾生たちとも意見を交わしました。 高知に帰国後、沢村惣之丞とともに脱藩しました。脱藩後、長州へ渡り、白石正一郎を訪ねました。 またこの年、勝海舟(かつかいしゅう)を訪ね、弟子となりました。

1863年(文久3年)、勝海舟が中心となって進めていた神戸海軍操練所の設立に加わり、 その前身、神戸海軍塾の塾頭に就任しました。

1864年(文久4年、元治元年)、一度は脱藩の罪を免除されていたのですが、土佐藩の帰国命令を無視し、 再び脱藩しました。その後、勝海舟の計らいで、薩摩藩に預けられました。

1865年(元治2年、慶応元年)、長崎で社中(亀山社中・のちの海援隊)を組織しました。 また、この年より、中岡慎太郎とともに、薩長同盟実現へ向けて、動きはじめました。 高杉晋作ともこのころ出会い、薩長同盟設立の意志を伝えています。

1866年(慶応2年)、京都で、長州の桂小五郎(木戸孝允)と薩摩の西郷隆盛が会見を行い、 薩長同盟が結ばれました。またこの年、寺田屋で幕吏に襲撃されましたが、一命を取り留めました。 その後、長州藩の四境戦争に参加し、門司沿岸の攻撃を行いました。

1867年(慶応3年)、土佐藩との関係を修復し、海援隊を創設しました。その後、中岡慎太郎と共に、 京都の近江屋で、何者かに暗殺されました。享年33歳でした。

高杉晋作・坂本龍馬 青春交響の塔高杉晋作と坂本竜馬の鎮魂のモニュメント:青春交響の塔(下関市あるかぽーと)

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